日本の法律はどうせインターネットのビジネスに追いついていない、という思い込みでサービスを作ると事故になる
インターネットのビジネスというのは、新しすぎて日本の法律側が追いついていない。だから、自分たちで新しいビジネスの仕組みを作って、後から法律側に追いついてもらえばいいなんて、そう信じて疑わない時代がかつて存在していました。
こういう考え方は、ひと昔前のビジネス開発者の発想だと私は思います。
ネットは利用者が爆発的に増えて、リテラシーもばらばら、所得もばらばら、協調性や価値観もばらばら、そしてリスク意識もありえないほどぐちゃぐちゃで、本当に色んな人がサービスにやってくるという状況です。そうなると、無法地帯にしておくわけにもいかにわけで、自由を制限しなんとか水際で秩序を保つ、みたいな状況になっているのが今のインターネットです。
では、法律はどうやって扱うのか。
インターネットのビジネスで活用する法律は、インターネットの時代に入る前に作られたものがほとんどを占めていて、これらは確かにネットで使われることを想定はしていない。ただ「こう解釈すべきである」という定石みたいなものがあり、新規性が高いとさえ言われているサービスさえもおおよそカバーできるようにみえます。
法律は一旦無視、とはいかなくなった事例
「とりあえずコードが書けるし何か作ってみるか」みたいな、技術の知識があるからサービスを作る、そういうのがクールだった時代がかつては存在していました。Facebook誕生ストーリーはアナーキストなハッカー文化が強く描かれており、まさにその典型例といえるでしょう。
ただ、現代はもうそんな安直なやり方でサービスを作ることが難しくなっています。このあたりの変化を理解するにあたって、2018年にリリースされた「Osushi」というサービスが、最たる事例といえます。
Osushiは金銭取引を伴うサービスなのですが、クレカ等の個人情報の取扱が作法通りでなかったり、商品や役務を伴わない金銭の受け渡しをしていたりと、様々な法的問題が取り上げられて大炎上しました。エンジニア目線だけでみるなら「使いやすく便利になっていて最高!」なのかもしれませんが、社会全体の秩序を守りたいならば、この対応には許容し難い課題を孕んでいます。
きっと開発者は、法律の知識について本当に理解がなかったのでしょう。個人情報の取扱よりもユーザービリティを優先し過ぎたらどんな問題が起きるのか、商品や役務のような対価が無い状態でお金を渡すことを許すとどんなトラブルに繋がるのか、想像も出来なかったに違いありません。
ただまぁ、こんなレベルのグダグダなサービスなんて、ひと昔前はいくらでも溢れかえっていました。技術的にも稚拙なところがあり、まだ入門者なんだろう、だったらこんな失敗をしても仕方ないよなぁと、微笑ましさを感じたぐらいです。しかしオーディエンス側は、これだけネットも成熟化してきた中で「今更こんなやり方はイカンだろ」という空気をガンガンにだしてきました。
「法律軽視の時代はもう変わったのだ」と、そう言い切ってもいいようにみえます。
法律を守ってサービスを作る手順
おおまかにポイントは2つです。
- 体験・機能・ソフトウェア設計を、法律遵守できるようにつくる
- 利用規約を法律にあわせて修正する
お作法でつくる、という形でサービスをつくること。また、法律を今回どのように活用したのか、どういう解釈で利用したのかを利用規約に反映することが必要になります。
一般的なWeb業界向け法律セミナーでも、このような手順を踏むことを前提にセッションを作っているようにみえます。世の中的にはスタンダードな思考法であると思います。